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ノスタルジーとカタルシス─『岡崎に捧ぐ』

岡崎に捧ぐ』がついに完結してしまった。

意外かもしれないが、好きなマンガトップ10に入るマンガと言ってもいいくらい。

「好き」というのは必ずしも「何度も読む」とは別として。

岡崎に捧ぐ』は山本さほさん(著者)が親友の岡崎さんとの出会いから現在までを描いたものだ。

だから岡崎さん=山本さんの自叙伝のようになっている。

山本さんは当初、岡崎さんのことを「クラスで一番仲良くなりたくない人」だと思っていた(笑)。

ところが岡崎さんの家に遊びに行ったらフリーダムすぎて居心地よく、以後毎日入り浸ることになる。

岡崎さんは山本さんのことを本当に大好きで、その愛は怖いくらいだった。

実際、山本さんは『岡崎に捧ぐ』を読めば分かるように、遊びの範疇を逸脱した天才だった。

校舎内に秘密基地をつくったり、「キムタクゲーム」なるものをクラス中に流行らせたり、

よくもこんなに出てくるなーという感じだけど、

岡崎に捧ぐ』で描かれている「あの頃」は自由でキラキラ輝いている。

懐かしくも切なくて、なんともいえずうっとりしてしまうのであった。

私も小学校のときゲームが好き過ぎて、「学校からいち早く家に帰ってゲームがしたい」感覚を思い出したりした。

高校生編あたりから、雲行きが少し変わり、

高校受験に失敗し、岡崎さんと離れ離れになり、打ち解ける友達もいない高校生活。

そして美大受験に失敗。

フリーターになったり、なんとなく専門学校に行ったり、

スターだった山本さんは「なにものでもない者」になった。

このマンガは岡崎さんをはじめ、変な人がたくさん登場するけども、

なぜ山本さんは大人になっても、なかなか出合えないであろう変な人ばかり引き寄せてしまうのか。

きっと山本さんは普通の人になりたいを願っていたのだろうけど、本質が「変な人」だからに違いない。

運の悪さに思わず笑ってしまう。

昔は何でもできたのに、大人になるとしがらみだらけで、自分を好きになれない山本さんをまるで自分のようだと思ってしまう。

だから3・4巻は読んでてつらかった。

でもこの時代がないと、『岡崎を捧ぐ』をこんなに好きになることはなかっただろう。

最終巻の5巻では山本さんも岡崎さんも人生が思わぬ方向に進み、「物語の終わり」にうまく着地する。

 『岡崎を捧ぐ』は、岡崎さんと同じくらい、「あの頃の自分」に捧ぐ感じがする。

「あの頃」も「なにものでもない日々」も、変な人たちも『岡崎に捧ぐ』に描かれることでようやく輝くことができた。

それがくだらなければくだらないほど美しいのだ。

 

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