Hitorikaigi Journal

読書が本からkindleに変わった書店員の一人会議録

Road to Birth② 〜妊娠7~9週

 

前回に引き続き「出産への道」記録です。

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8週目に入ると一般的に妊娠3ヶ月なんですね。

よく芸能人が妊娠の発表するときって「妊娠3ヶ月」じゃないですか。

あれは赤ちゃんの心拍が確認できて、流産の可能性もグッと減るからなんですね。

これは妊娠してみないと知らなかったわ。

 

フェニックス(仮)の8週目

CRL(頭からおしりまでの長さ)1.9cm

頭と胴、手足が区別でき、もう「ザ・赤ちゃん」という感じ。

昔から子ども嫌いな方ですが、ガッサガサの超音波写真ですら

「え〜?ちょっとこれかわいくない?」と思ってしまう。

これが母性なのだろうか。

 

わたしの7〜9週目

7週目に出血と腹痛があり、慌てて病院へ。

妊娠初期に出血はよくあることらしいです。

またも流産かと思って大泣きしてしまいました…。

お医者さんから重い荷物はなるべく持たないように言われました。

この流れで職場にも報告。

しかし書店で「重い荷物を持たない」というのはなかなか難しい…。

だいたい「重い荷物」とは何キロ以上の荷物を指すのだろう。

両手いっぱいに本を抱えるなんて日常茶飯事なんですが…。

 

つわりはまだ続いています。

常に口の中が気持ち悪かったり、胃が痛かったり、下痢になったり、これはすべてつわりの仕業なのです。

何も食べれない時期もありましたが、食欲は戻りつつあります。

が、食後に気持ち悪くなる…。

妊婦さんが好きな飲み物といえば、すっぱいジュースのイメージでしたが、私は麦茶が最強と思っています。

 

ブラジャーがキツくなってきたので、ユニクロのカップ付きのキャミソールに切り替えました。

1サイズぐらいは大きくなったような気がします。

万年Aカップだった6~7年前に比べたら夢のような話です(ヨガを始めたら姿勢がよくなって少しバストアップしたのでした)。

まあ一時的な夢ですけど。

 

市役所に母子手帳を取りに行き、ついにあのストラップをゲットしました。

通勤用かばんに付けています。

まだ席を譲られることはありませんが、堂々と優先席に座れるのがいいです。

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一度仕事から家に着いた瞬間倒れ込んでしまったことがありました。

それからは仕事を無理しすぎないよう自制しています。

まだフェニックスがちゃんと育っているのか不安ではありますが、体だけではなく心の方も少しづつ妊婦の自覚が出てきているようです。

 

 

フジTV「久保みねヒャダ こじらせナイト」終了に思うこと

 

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「久保みねヒャダ こじらせナイト」が9月16日でレギュラー放送を終了するらしい。

(23日には2時間スペシャルが放送予定)。

今はまだ実感はないが「久保みねヒャダロス」になることは確実なのである。

 

私はもともと能町さんのコラムが好きで、そこから「久保ミツロウ能町みね子オールナイトニッポン」にはまった。

久保さんと能町さんとヒャダインの番組があるらしいが、なにぶん関西在住だったため、まれに放送される特別版を観ることしか許されずくやしい思いをした。

その後、東京に引っ越すことになり、言わずもがな引っ越してよかったことのひとつが「久保みねヒャダ」が毎週観れることだった。

 

「久保みねヒャダ こじらせナイト」は、漫画家の久保ミツロウとコラムニストの能町みね子、音楽プロデューサーのヒャダインが基本ゆるくダベっている番組だ。

「こじらせナイト」という名前の通り、3人とも「体育嫌い・モテない・暗い」の学生時代をこじらせたまま大人になっている。

しかし3人とも一流のクリエイターゆえに頭の良さと創造性が光り、くだらないゴシップの話題でも日本の闇を見るような深い議論となっていく。

同じく青春時代をこじらせた私にとって、「久保みねヒャダ」はいま唯一「夢を感じる」テレビ番組といえる。

 

番組が終わる理由についてヒャダインさんのブログによると、

「低予算の20分深夜番組の地上波を終わらせねばならないほど今のフジテレビは深刻な状態だ」と書かれている。

単にフジテレビが制作の予算を出さないことにした、ということなんでしょうね。

 

番組終了を知って、ネットでいろいろ検索していたら「需要あるなら他局でやったらいいじゃん」という意見をみてハッと思った。

「深夜のインテリ枠」というようなフジテレビの伝統がある。

古くは『冗談画報』『カノッサの屈辱』『カルトQ』など(リアルタイムでは知らないけど)、最近では『トリビアの泉』『世界は言葉でできている』『ヨルタモリ』なんかが入ってくると思う。

いずれもバカバカしいことを真面目にやる、サブカルっぽい人選、大人のための番組という共通点がある。

「久保みねヒャダ」は間違いなく「深夜のインテリ枠」の流れを組む番組なのだ。

だからフジテレビだからこそできた番組だし、フジテレビじゃないとダメなんだ。

脈々と受け継がれた灯火が消えようとしている。

それは「文化の消滅」に他ならない。

 

Road to Birth① 〜妊娠5~6週

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産婦人科で渡された「Road to Birth」と題された紙には妊娠から出産までの具体的な流れと費用が書いてあった。

その下には「Welcome to Maternity World !」とも書いてあった。

ようやく「Maternity World」にウェルカムしてもらえたけれども実感はまだない。

婚活・妊活を経た長い道のりだったが「Road to Birth」を読むと、ここからも険しい道が続くようだ。

 

というわけで現在妊娠6週目を迎えるわけだが、まだ妊娠初期のため、まだ妊娠の事実を口外できない時期である。

だけどこうして書いちゃってるのは、5週まではせいぜい体温が高いとか、お腹が張る程度だったのが、

6週目に入ると急に体の方がダイナミックに変化しだしたので、これは格好のネタになると思ったのだ。

これから人生で何度とない経験が始まろうとしているので、せっかくなので書き留めておきたいと思う。

お腹の子は仮に「フェニックス」と呼んでいます。

 

フェニックス(仮)の5週目

胎嚢は1.5cm。胎嚢の中に粒のような赤ちゃんが確認できる。

 

わたしの6週目

・体温はずっと36.7〜37.0度ぐらいで頭がぼーっとする。

・吐き気。ゲップが出そうな瞬間がずっと続く感じでとにかく気持ち悪い。

・気持ち悪いので食べられるものが限られてくる。

うどんとか喉越しのいいもの、酸っぱい酢の物、味の濃いものが食べたくなる。

油っぽいものは無理で、なぜか水が飲めなくなった(お茶とかジュースは可)。

お腹は空いているのに食欲がないという不思議な感覚。

食べれるものを探すため、ほどんど食べ物のことを考えている(笑)。

・雑踏が生理的に無理になる。マスク着用必須。

 

一番つらいのは、まだ職場にカミングアウトしていないので、「気持ち悪い!」と思ったときに「気持ち悪い!!」って言えないことだ。

書店の仕事は基本立ち仕事であちこち動くため、限界がくるとデスクワークに切り替えたりしていますが、けっこうしんどい。

体はしんどいですが、1年前に流産しているので、体が楽になると、それはそれで不安になる。

 

いま思考の3分の1は「気持ち悪い」と「何食べよう」で構成されているので、本を読もうという気はさらさら起きない。

このブログは「読んだ本を通して考えたこと」を綴るものでしたが、しばらくは変更せざるを得ないようです。

 

 

ヨコハマトリエンナーレ2017に行ってきた

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*1

トリエンナーレとは「3年に1度開かれる国際的な美術展」のことであるが、 自慢じゃないが横浜には3年前の5回目以外は全部観に行っている。

個人的には、作品もさることながら、事業としてどのくらいの規模かに注目している。

最初の開催は2001年で、それはもう横浜市の命運をかけた一大イベントであった。

なぜなら「横浜トリエンナーレ」が日本ではじめての「国際的な美術展」だったからだ。

会場のパシフィコ横浜と赤レンガ倉庫に内外107もの作家の作品が所狭しと展示され、まさに希望に満ち満ちた美術展であった。

しかし年々規模は縮小し、2008年の3回目のときは「これ、もう終わるのかな?」と思うほどこじんまりとした印象だった。

ここ最近は横浜美術館と赤レンガ倉庫が大きな会場に落ち着いているようだ。

規模感もこのぐらいの方が回りやすくていいと思う。

今回は6回目でテーマは「島と星座とガラパゴス」という。

1回目のテーマが「メガ・ウェイブ」、つまり「日本から、横浜から、大きな波を起こす」であった。

一方、「島と星座とガラパゴス」とは「ガラパゴス島に孤立した日本は世界とのつながりを夢見ている」のが今の気分というところか。

 

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*2

現代美術というと難しそうとか意味がわからないと思う人が大半だろう。

作品ガイドを読んで「ああ、こういう意味ね」と分かっても、本当に作品を理解したとは言いにくい。

私は以前ギャラリーの監視ボランティアをやったときに不思議な体験をした。

そのときは確か「日本人の夫を亡くした外国人の妻」をテーマにしたドキュメント映像作品が展示してあった。

説明用のガイドに目を通しても「ふーん」と思った程度で、退屈な映像作品を観ているのは正直つまらなかった。

しかし30分以上作品に向き合っていると、ふと「ああ、こういうことだったのか」と作者が伝えたかったことに気づき、ちょっと泣きそうになった経験がある。

ずっとアートが好きだったけど、こんなに静かな感動をしたことがない。

 

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*3 

だから気になった作品があれば、長い時間をかけてそこに佇むことをおすすめしたい。

きっと時間をかけるからこそ見えてくるものがあると思う。

逆にピンとこなかったものはガンガン飛ばせばよいのだ。

 現代美術はそれぞれの見方がある。正解はない。

 

太っ腹なことにヨコハマトリエンナーレは全作品が撮影し放題だ。

作品はよくわからなくても撮影だけで充分楽しいと思う。 

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*4

*1:アイ・ウェイウェイ『安全な運行』

*2: ジョコ・アヴィアント『善と悪の境界はひどく縮れている』

*3:畠山直哉『風景』

*4: マウリツィオ・カテラン『無題』

面倒力は進化か退化か─Apple Musicはじめました

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高校生のとき、音楽は趣味とかではなく生活の一部であった。

しかし社会人になって気がつくと音楽から遠のいていた。

それは音楽そのものより音楽情報に触れる機会が減ったからだと思う。

私にとってそれはラジオやテレビ、雑誌、そしてCDショップだった。

 でもそのころの記憶というのはなかなか強力なもので、

「ああ、エレカシのあの曲が聴きたい!!」とふと思うことがある。

 

最近iTunesを開くとやたらと「Apple Musicをはじめよう!」とおすすめされる。

最初は無視していたが、あまりにしつこいので、詳細を読んでみると、

Apple MusicとはApple社が提供する定額制音楽配信サービスのことで、

数百万曲にも及ぶ音源ライブラリが自由に聴き放題になる。

気に入った曲を自分のライブラリやプレイリストに追加して、オフラインで聴くこともできるらしい。

はじめの3ヶ月は無料、その後は月々980円だそうだ。

 3ヶ月は無料なら、と早速使ってみることにした。

 

便利なのは「FOR YOU」という機能で自分に合いそうな音楽を毎日おすすめしてくれる。

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最初は的外れなものも多かったけど、使っていくうちに精度は上がっていく。

今日は何をおすすめしてくれるのだろうと少し楽しみになる。

こうなると好きな音楽を自分から探す必要がない。

 

20年ほど前はTSUTAYAでCDを借りて、カセットにダビングしていた。

A面からB面にカセットをひっくり返すのも全然面倒ではなかった。

音楽雑誌を読み込み、気になる新譜を視聴するためだけにCDショップへ通った。

タワーレコードのフリーペーパー「bounce」は保管用と切り抜き用で2冊持って帰っていたっけ(今思うと気持ち悪いな)。

 

今はCDをパソコンに読み込ませるのですら面倒で、家にCDがあるのにApple Musicでダウンロードしてしまう始末だ。

年をとったからか、時間がないからか、面倒くさいと思う力=「面倒力」は年々強くなっていく。

一方であの頃の衝動や情熱を取り戻したいとも思う。

Apple Musicはこの面倒力に勝る画期的なサービスだ。

自分自身が進化しているのか退化しているのかはわからない。

「面倒力」に抗い、Apple Musicを使いこなし「音楽」を取り戻すことは私にとって「修行」のようなものだ。

 

芥川賞の本はなかなか重版しない理由

 

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久しぶりに文芸担当という奴になったのだが、

芥川賞を獲った沼田真佑さんの『影裏』が、

初回の配本はそこそこあったのものの、いくら発注しても重版分が待てど暮らせどやってこない。

割と売れているだけに残念だ。

『影裏』に対する出版社の期待の低さとみていいのだろうか。

それだけ期待されていないと逆に読みたくなってくるのが「あまのじゃく」の嫌なところで(笑)、『影裏』が全文掲載されている「文藝春秋」9月号を買って読んでみた。

私は小説をあまり読まないので、素人のような感想だけど、

LGBTとか相互会の話とかおもしろくなりそう!と思ったらはぐらかされ、肝心なところの表現がどうにも間接的でもどかしかった。

さらに私にとっては難しい漢字が多く、読み方が分からず頭に入ってこないところがあった。

平たくいうと「ザ・純文学」作品であった。

 

『影裏』の発行部数は初版4万部、2刷5,000部、3刷1万部だそうだ(8/16現在)。

 他の芥川賞受賞作もあまり変わらないようで、だいたいが初版4万部で重版で1万部という感じであった。

どうやら『影裏』の発行部数が少ないのではなく、「純文学」のマーケットが4~5万人というだけの話であった。

 

一方、1年前の受賞作、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』は、

初版6万部、2刷4万部、3刷5万部、4刷10万部…と重版部数は倍倍ゲームのように増えていった。

コンビニ人間』や『火花』のように普段本を読まない人にも届くものならば、おもしろいほどの重版ラッシュとなる。

 

発行部数が本のおもしろさを決めるわけではないが、書店が売りたくても商品がなくては売ることができない。

最近SNSで話題になって書籍化というパターンが多いが、昔ながらの文学の世界ではまだ、売れるか売れないかは出版社次第なのである。

 

*ちなみに対象が純文学の「芥川賞」に対して、エンタメが対象の「直木賞」の方が売れゆきはよい。

今回直木賞を獲った佐藤正午さんの『月の満ち欠け』は出版元が完全買切の岩波書店にも関わらず、受賞後の重版は8万部だそうだ。

 

 

人生の可能性を閉じて生きる─稲垣えみ子『寂しい生活』

 

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稲垣えみ子さん、というよりも「『魂の退社』のアフロ記者の人」の方がピンと来るだろう。

元朝日新聞の記者で、3.11の原発事故をきっかけに節電をはじめ、ついには電気代が月々300円代になり(!)様々なメディアで紹介された人だ。

 

『魂の退社』は、節電生活を始めてなんだかんだで会社を辞めることになった稲垣さんの顛末、そして「会社を辞めるとはどういうことなのか」ついて書かれていた。

続編となる『寂しい生活』では「家電を辞める」ことについて書かれた本だ。

 

節電の根本療法は家電をやめることである。

掃除機をやめ、電子レンジをやめ、冷蔵庫をやめ、ついには内風呂(稲垣さんの家はオール電化だったのだ)までやめてしまった。

家電なしでどうやって生活するのだろうと思っていたけれど、案外イケるらしい。

日々、工夫を凝らして、成功したり、失敗したり。

なんかすごい楽しいそう!

全然「寂しい生活」じゃないんだけど(笑)!

 

ならば「寂しい生活」って何なのだろう?

それは「人生の可能性を閉じて生きる」ことなんじゃないだろうか。

 

「人生の可能性を閉じて生きる」??

 

誰であれ「可能性は無限にある」と教えられ、信じて疑わなかったので、それを「閉じる」とはいささかショックであった。

何事も拡大・発展することが幸せなこと=「豊かさ」だと信じてきた。

しかし本当にそうなのか怪しくなってきている。

家電は豊かさの象徴だけど…

冷蔵庫には食べきれないほどの食品が詰め込まれ、腐った食品を捨てるときは罪悪感でいっぱいだ。

掃除機をかけようにも、部屋はモノで散乱しているので億劫だ。

「豊かさ」ってもしかして、「拡大・発展すること」だけではないのかも?

 

「人生の可能性を広げる」ことが行き詰まっている今、「人生の可能性を閉じる」ことに「可能性」があるのかもしれない。

家電、会社、家、学校、人間関係……何でもいい。

当たり前のように存在していたものをやめてみることに今後の可能性がある。

(さしあたり私はテレビを観ることをやめました。時間の余裕ができた気がします)。

 

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